平松英子 Eiko HIRAMATSU

soprano

東京藝術大学、同大学院修了。ドイツ学術交流会(DAAD)奨学生としてミュンヘン音楽大学に留学。マイスタークラス在学中にバッハ・コレギウム・ミュンヘンのJ.S.バッハ「ヨハネ受難曲」でデビューする。修了後、西ドイツの複数の劇場と契約しモーツァルトの歌劇「魔笛」のパミーナ役でオペラデビュー。そして第1回ミュンヒナー・ビエンナーレにてデトレフ・グラナート作曲のオペラ「ライラとメチュヌーン」の初演に出演。またJ.S.バッハ、ヘンデル、ハイドン、モーツァルト、ブラームスなどの宗教曲のソリストとしても、ヘルマン・プライやペーター・シュライヤー、エディット・マティスなどと共演、高い評価を獲得する。そしてウェーバー歌劇「魔弾の射手」エンヒェン役で帰国デビュー後、拠点を日本に移し、オペラからオラトリオ、歌曲まで幅広く活躍。バッハ、モーツァルトからヒンデミット、バーンスタイン、マルタン、ベルクなど現代曲までを歌いこなす柔軟な音楽性は、日本を代表するリリック・ソプラノとして、今は亡き巨匠ジュゼッペ・シノーポリをはじめ国内外の多くの指揮者の賞賛の的となっている。最近では細川俊夫の新作「クリスマス・カンタータ」の独唱者としてミュンヘンでの世界初演の成功に貢献した。CD録音では「マーラー:大地の歌」「細川俊夫歌曲集: 恋歌」「湯浅譲二:美しいこどものうた」「ロドリーゴ:4つの愛のマドリガル」「R.シュトラウス:オフェーリアの歌」「ハイドン:天地創造」「ブラームス:ドイツ・レクイエム」「メンデルスゾーン:エリヤ」などがあるが、「シューベルト歌曲集」(イェルク・デムス伴奏)、「マーラー歌曲全集」(ソプラノ独唱による世界初の全集)、中田喜直芸術歌曲選集など、多くの録音プロジェクトが進められている。フェリス女学院大学教授を経て、現在、東京藝術大学音楽学部声楽科教授。ジロー・オペラ新人賞受賞。2011年度ジュネーブ国際音楽コンクール声楽部門審査員。

 

 

「音楽の友」(2004年2月号)の特集「30人の評論家・記者が選ぶコンサート・ベストテン2003」で、人気歌手として第3位(日本人1位)。

 

「レコード芸術」(2004年2月号)の特集「2003年度リーダーズ・チョイス」で「大地の歌」が声楽部門第7位。

 


平松英子さんのこと 湯浅譲二

 平松英子さんの音楽性の素晴らしさは次の三つの点に集約される。音程、発声と発音、そして解釈である。

 

 洋楽の根幹はまず何よりも音高の正確さに支えられている。日本のソロイストには正しいピッチよりもまず発声や表現に重心がかかりすぎて、<音楽>を逸脱してしまっている人がよくいる。

 

 平松さんは正確な音程感を持っていて、その点音楽を安心して聴くことが出来る歌い手だ。オペラの歌手でも過剰なヴィブラートのために音高が不透明になってしまい、重唱がハーモナイズしないことがよくあるが、平松さんは注意深くそれを避けている貴重な歌い手だと私は思う。

 

 また私は、歌は言語の音楽化としてあるのだから発声の前に正しい発音が行われなければ、結果として歌っている言葉の意味が伝達されないと思う。日本では発声法が発音法を上まわってしまっていると私は痛感することが多い。

 

 平松さんの歌は、ドイツ語であれ、日本語であれ、言葉が美しく発音される。かつて彼女が歌う中田喜直さんの歌曲集を聴いた。私とは作風が異なる中田さんの、歌が、日本語がこれほど美しく歌われることに、私は心から感服したのだ。

 

 勿論それは単に発音の問題だけではない。私は中田さんの日本語の歌にそそがれる、平松さんのいわば愛情の問題であるとも思った。

 

 マーラーのリュッケルトの詩による歌曲、私は特に「美しさゆえに愛するのなら」を聴いて、個人的にはさほど好きではないマーラーにも素晴らしいものがあることを知らされた。平松さんの音楽性が私を納得させたのかもしれない、とも思う。

 

 最近、私は作曲を職業としてから、初めてピアノを伴う歌曲を発表した。ソプラノは平松さんにお願いした。詩は谷川俊太郎の「空の上 鳥は老い」ではじまり、「暮れ残る 塔のいただき」で終わるこの詩を、私の意図を汲んで深い無常観を見事に表現した平松さんに初演をお願いしたことは、まさに正解だったと私は思っている。

 

 音楽は作曲家や演奏家のコスモロジーが反映されて現前すると思っているが、平松さんの背後には彼女を支える豊饒な世界、豊かなコスモロジーがあると想像している。それが平松さんの表現、解釈、音楽性の深さになるのではないだろうか。